専門学生になって初めてバイトをした日は嵐だった sikiの伝記#1

私は、専門学校に入って「解離性障害」という病気を持ち障害者になりました。

私はほかの人のようにたくさんの時間、働くことはできません。

普通の人のように、働くことができなかった私が自立する方法は

家にいながら、働ける日があるとき(1日2時間~4時間)で生活費を稼ぐことでした。

私は病気を背負っています。

ですが、いつかは自分の足でちゃんと歩けるようにならなければ、いつまでも自立することができません。

これは、障害者になって、一般の人とは違った生き方をしながら、それでも幸せを掴もうとした私のお話です。

 

 

専門学校に入って、私はポスティングのバイトをすることになりました。

これは、私が障害者になるきっかけとなった、アルバイトのお話です。

この先、私は障害者になり、いろんなことが起こります。

 

私は高校を卒業し、IT関係の専門学校に通うことになりました。

朝の通勤ラッシュ時、車で40分から50分かかるその場所へ、どうやって行こうか?

と悩んだ結果。私は原付で通学することになりました。

というのも、毎日往復2時間かからない程度の場所への通学を電車とバスを乗り換えながらやると

お金が大変になると思ったからです。

親に迷惑をかけたくなかった私は、少しでも通学費を安くするため、原付で行くと言いました。

原付であれば、車みたいに高くないし、ガソリン代もすごく安かったからです。

バイクは自分で買うことになり、高校からお小遣いやお年玉などをいろいろためて、中古のバイクを買いました。

私はそれで通学すると同時に、バイトを始めることにしたんです。

始めてのバイトは「クロネコヤマトのポスティングのお仕事でした。

町中のあちこちに、いろんな手紙やパンフレットを配達するお仕事です。

私が住んでいる街は2つに分かれていて、私は自分が住んでいないほうの地区を担当することになりました。

初めてのバイトの日は台風が直撃したんじゃないか?って思うぐらいの大嵐

確か、初めての日は30通ぐらいの手紙を届ける必要がありました。

運転に慣れてないバイクで嵐の中、カッパとヘルメットを着て

手紙を原付の椅子の下(バイクのヘルメットを入れるスペース)に入れて、街を動き回りました。

ただ、住んでいる街とは言え、反対側の地区にはほとんど行ったことがなく、まったく地理のアドバンテージはなかったんです。

 

道が全く分からなくて、何度も白黒で新しい家が更新されているわけでもない古くて大きい4,5枚の地図を嵐の中、ずっとにらみながら、家を探していました。

走り回り、運転し続け、体は熱いのか寒いのかわかりませんでした。

この家かな?と確証が得られず、ピンポンを鳴らし、○○さんのお宅で間違いないでしょうか?

と声をかけたとき、家のおばあさんは、私の顔を見て、凄く心配して

「大丈夫?」と声をかけてくれました。

家は当たっていて、震えた手で、手紙の名前を確認したんです。

手紙を配達する際には、必ず手紙のバーコードを専用のケータイでチェックしないといけないんです。

私は、チェックしようとしましたが、すでにその手紙は雨に濡れて、チェックすることができませんでした。

すると、おばあさんがトイレットペーパーを持ってきてくれて拭いてくれたんです。

無事チェックができた私は、お礼を言いながら後にしました。

凄く心配しながら、大変ねぇと声をかけてくれたのは今でも覚えています。

そのあとも、なんとかあちこちを駆け回っている時、山の中へ行く必要がありました。

その時、雷がめちゃくちゃ鳴り出したんですね。

原付だから車のように窓がなく、耳を塞ぎたくなるような雷がなんども鳴り響きました。

寒いのか熱いのかわからないまま、山に入ろうとした私は

あまりにも仕事ができない自分に悔しくて

ちくしょおおおおおおおおおと声を張り上げて、鳴きながら、山に入りました。

ある程度道は整備されていますが、地図も当てにならず、どこに手紙を持っていけばいいのかわかりません。

何十分も嵐の中、原付で山道を移動してると、指定の時間が着てしまい、事務所に戻ることになりました。

口が動きませんでした

事務所に戻って、全く仕事ができなかった私は。

まったくできませんでしたと伝えようとしたとき。

寒さで口が動かなかったんです。

人間の神経が麻痺してるのか、くちびる周辺の筋肉の感覚がなく、うまく話せませんでした。

結局この日に配達できなかった手紙は後日配達することになりました。

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